大風邪を引き、年末年始の活動は強制終了となった。

『この海に』再読。




『アラン島』の著者J・M・シング作、劇作家としても活躍した彼の戯曲。
原邦題『海へ騎りゆく人々』

シングの『アラン島』は、紀行文で、アイルランド本島から訪れたシングから見る、独特の風習や神話から成り立つ島の生活が、軽やかに語られている。
その世界に浸り、いつまで読み終わりたくなかった。
自分もゲール語をシュルシュルと話してみたくなり、辞書はないかと探したものだ。


『この海に』

一人の老婆とその二人の姉妹は、かつては6人の息子と夫、義父が漁師として共に暮らしていた。
夫、義父、息子が次々と荒波に飲まれ、残った若い二人の息子も、一人を葬るまでもなく、最後の末息子まで旅立っていく。

厳しい海での仕事故、死体が上がれば幸運で、
引き上げられた靴下や、シャツの布端で、自分の兄弟と確認し、その事実をいつ母親に告げるのか、
兄のために編んだ靴下で「作り目は60で、4落としたからね」
姉妹のやり取りに、胸が掴まれる。

数日間は帰って来れぬ船に乗り出す末息子に、老婆が食事のパンを渡そうと、
そして渡せなかったその矢先、彼も呆気なく逝ってしまうのだ。

海が生きる糧の全てで、生き抜く事すら厳しいこの島で、全ての男手を失い、二人の娘と生き続ける老婆。
果てのない悲しみに、神さまの容赦などない。


訳者の高橋順子氏は、この戯曲を記しながら、東北大震災で出身の地、千葉は九十九里で、津波に奪われた沢山の友人家族へ思いを馳せる。

余震が続く土地で、「九十になる母も恐怖を飼い慣らしていこうとしている。」
銚子沖は豊かな漁場であり、潮風は荒いが、「海に面した土地は夏涼しく、冬は暖かい。」

私に何がわかるだろう。
表裏一体の、恵みを与え続けられる海に飲み込まれる命のことを。
広島には、土砂災害があった。
友人には、亡くなった知人や隣人がいる。
それでも私に、実感はないに等しい。

靴下の編み目を落とし、(多分裏編みのことだと思う)自分が編んだ確信はわかる。

人の命の重さなんて、自分の半径50cmでしかわからないと思う。

わからなさを自覚しなきゃ。
私がわからない事について、頼りなく掴んだ小さな確信を追って、思いを馳せる。

total : │today : │yesterday :