11月も中盤に差し掛かろうとしている。
もうすぐスックとバディのフルーツケーキの季節がやってくる。

フルーツケーキとは、カポーティの「クリスマスの思い出」に出てくるドライや缶詰のフルーツが入った保存の効くクリスマス用のパウンドケーキのことだ。
私は、スックのように「さあ、フルーツケーキの季節がきたよ」と、キーンと冷え込んだその朝を、気付けるだろうか。

スックとバディは、遠いいとこ同士で、親戚達と一緒に暮らしている。
この季節になるとまず、持ち主の収穫の終わったピーカンナッツの木の下で、おこぼれの実をそれでもフルーツケーキ31個分、集めるのだ。

私が県外の勤めを辞め実家に帰ってから、11月、強い風の吹いた日に、近くの神社へ椎の実を拾いに毎年通った。
おもしろがってくれそうな友達には勝手に送りつけ、随分手間取らせてしまっただろう。
椎の実は、軽く炒って中身を取り出し、玄米と一緒に炊いて縄文ご飯(椎の実を送り付けた友達が教えてくれた。木の実炊き込んだ玄米ご飯のこと)にしたり、スックのピーカンナッツよろしくパウンドケーキのドライフルーツと共に加えもした。
椎の実は、生で中身(堅実)は粉っぽく油分があり、ほの甘い。マカダミアナッツに似ている。火が入るとホクッとして銀杏よりやや柔らかな食感だ。


スックとバディは、小さく貯めた小遣いから材料を買い集め、31個のフルーツケーキを焼くのだ。
そして自分達唯一の写真を撮ってくれた通りすがりの御夫婦や、毎朝、手を振ってくれるバスの運転手、年に二回街にやってくる包丁研ぎなど、気に入ってる人達に送る。


年齢が上がり、バディは大人達によって寄宿学校に入れられる。
離れ離れになったスックとバディ。
スックは一人でフルーツケーキを毎年焼き続け、「一番の出来のいいやつ」をバディに送る。
その手紙の中で、スックはやがて子供の頃に遊んだもう一人のバディと区別が付かなくなり、いつかフルーツケーキも焼けなくなる。

「フルーツケーキの季節が来たよ!」と叫べなくなるのだ。

「友達が家に一人居たらいい」
儚いバディの思いさえ、埃のように吹き飛ばされる現実に、都合を付けて、それでも生きていかなくちゃならないのか。
「クリスマスの思い出」は、私にとってきらきら光る宝石だ。
自分が年を重ねる毎に角度を変え輝きが増す。
新潮文庫版で読んだ最初、高校生だった私は何を感じていたのだろう。

毎年、ドライフルーツ入りのパウンドケーキをこの季節、編み物クラブ用に焼くけれど、今年は自分とたった一人の家族のために焼いてみようか。
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